伊勢志摩の名城(跡)を巡ろう
気分は戦国武将!?伊勢志摩の城めぐり 1泊~2泊3日旅
伊勢志摩にも城跡がたくさん!
戦国武将の城跡や、桜の綺麗な城。
いろんな視点から城を楽しんでみませんか?
- 所要時間:1泊2日、もしくは2泊3日
- 交通手段:車
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JR・近鉄「松阪駅」から徒歩約15分
松坂城跡
日本100名城のひとつ
「日本100名城」で国指定史跡である松坂城跡は、野面積みを基本とした石垣が積み上げられ、松阪公園としても市民に親しまれています。桜、梅、藤、銀杏など、四季折々の花や景観が楽しめます。
また、桜の名所でもあり、4月上旬には夜間のライトアップも実施され、バックの石垣とのコントラストが満開の桜をより一層際立たせます。
地名は「松阪」と表記するため、「松阪城」と表記することもありますが、「松坂城」と表記するのが正しい様です。
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また、桜の名所でもあり、4月上旬には夜間のライトアップも実施され、バックの石垣とのコントラストが満開の桜をより一層際立たせます。
地名は「松阪」と表記するため、「松阪城」と表記することもありますが、「松坂城」と表記するのが正しい様です。
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伊勢志摩の梅の名所5選!
満開のお花見スポットをご紹介します
満開のお花見スポットをご紹介します
住所 | 〒515-0073 三重県松阪市殿町1539 | |
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電話番号 | 0598-23-7771(松阪観光情報センター) | |
営業時間 | いつでも入場いただけます。 | |
休業日 | 無 | |
料金 | 無料 |
車で約25分又は、「松阪駅」から近鉄「斎宮駅」まで近鉄線と徒歩で約40分
竹神社
斎宮(さいくう)の世だめし。絵馬が神宝としてのこる竹神社
竹神社には、「斎宮(さいくう)の世だめし」といわれ、馬が背追った稲束の色によって豊兇(ほうきょう)を占う「絵馬」が神宝として本殿に保管されています。中世には斎宮城があったところで、当時の石垣が今もその周辺に残されています。
また、竹神社が立つこの地は、伊勢神宮に仕えたお姫様「斎王」が暮らしていた社があったのではと言われています。神様に仕えたお姫様が暮らしていた場所の上に神社があるってとってもロマンチックですね。
竹神社の御朱印をはじめ、小さなお守り等を頒布しております。お伊勢参りと合わせてお立ち寄りいただければと思います。
注意:社務所を臨時的に閉めさせていただく場合がございます。
また、竹神社が立つこの地は、伊勢神宮に仕えたお姫様「斎王」が暮らしていた社があったのではと言われています。神様に仕えたお姫様が暮らしていた場所の上に神社があるってとってもロマンチックですね。
竹神社の御朱印をはじめ、小さなお守り等を頒布しております。お伊勢参りと合わせてお立ち寄りいただければと思います。
注意:社務所を臨時的に閉めさせていただく場合がございます。
住所 | 〒515-0321 三重県多気郡明和町斎宮2757‐2 | |
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電話番号 | 0596-52-0055 |
車で約15分
田丸城跡
勇壮な野面積みの石垣と桜のコントラストは絶景!
玉城町のシンボルともなっている田丸城跡は今から約680年以上前の1336年(延元元年)北畠親房・顕信父子が南朝義軍の拠点として砦を築いたのが最初と言われています。現在は桜の名所としても有名で、たくさんの人々の憩いの場となっています。遊歩道も整備し適度にアップダウンがあるため、ウオーキングにも最適です。自然の中で心地よい空気を味わってみてはいかがでしょうか。
花の開花情報等は、玉城町観光協会公式インスタグラム(@tamaki_kankou)でもお知らせしています。
花の開花情報等は、玉城町観光協会公式インスタグラム(@tamaki_kankou)でもお知らせしています。
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知られざる伊勢志摩の名城 田丸城跡を歩く
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住所 | 〒519-0495 三重県度会郡玉城町田丸字城郭114-1 | |
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電話番号 | 0596-58-8212(玉城町教育委員会) |
車で約30分
一之瀬城址・一之瀬神社
南北朝時代の南朝の拠点であったといわれる城址
南北朝時代、南朝の拠点であったといわれる城址。敷地内には一之瀬神社が建てられています。高台には後醍醐天皇の皇子である宗良親王の御遺跡があります。
住所 | 〒516-1246 三重県度会郡度会町脇出392 | |
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電話番号 | 0596-62-2416(度会町産業振興課) |
車で約35分
五ヶ所城址
元祖剣豪の愛洲移香斎久忠 生誕の地
南北朝から戦国時代にかけて活躍した伊勢の豪族、愛洲氏の居城で、竹林に囲まれた小高い丘の上にあり、三重県の史跡にも指定されています。中世の山城なので、堀や居館の跡はありますが石垣はありません。城址の近くには「愛洲一族の塔頭」という愛洲一族の墓が並び、戦国の哀愁が漂っています。
また、ここは、剣道の影流の祖の誕生地でもあります。愛洲一族の移香斎久忠が世に広めた愛洲影流が、柳生新陰流やタイ拾流の源となりました。毎年8月、お盆後の日曜日には剣祖移香斎を讃える為に、五ヶ所城址で「剣祖祭」が行われ、全国各地各派武術者による武芸奉納が行われます。
また、ここは、剣道の影流の祖の誕生地でもあります。愛洲一族の移香斎久忠が世に広めた愛洲影流が、柳生新陰流やタイ拾流の源となりました。毎年8月、お盆後の日曜日には剣祖移香斎を讃える為に、五ヶ所城址で「剣祖祭」が行われ、全国各地各派武術者による武芸奉納が行われます。
住所 | 〒516-0101 三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | |
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休業日 | 年中無休 | |
料金 | 無料 |
大王埼灯台(大王崎灯台)
絵かきの町の灯台
太平洋の荒波が寄せる岸壁の先端に立つ白亜の灯台です。ここの美しい風景は、多くの画家たちにも親しまれ「絵かきの町」として有名です。
熊野灘と遠州灘を分ける海の難所、大王崎に建っています。鳥羽の鎧崎沖と並んで、船乗りたちに怖れられていました。大王埼灯台も参観灯台で、上からは真下に石坂が美しい波切の町、大海原の向こうには神島や渥美半島も見渡せます。沖から来る船がマストの先端から現れることから、地球の丸さを実感することができます。
熊野灘と遠州灘を分ける海の難所、大王崎に建っています。鳥羽の鎧崎沖と並んで、船乗りたちに怖れられていました。大王埼灯台も参観灯台で、上からは真下に石坂が美しい波切の町、大海原の向こうには神島や渥美半島も見渡せます。沖から来る船がマストの先端から現れることから、地球の丸さを実感することができます。
住所 | 〒517-0603 三重県志摩市大王町波切54 | |
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電話番号 | 0599-72-1899(公益社団法人燈光会 大王埼支所) | |
営業時間 | 3月~10月 9:00~16:30(土日等)、9:00~16:00(平日) 11月~2月 9:00~16:00 |
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休業日 | 年中無休 ※ただし、荒天の場合や業務の都合により参観を中止または参観時間を変更することがあります | |
料金 | 大人(中学生以上) 300円 小人(小学生以下)無料 |
車で約40分
九鬼岩倉神社
九鬼家にかかわる神社
かつて九鬼家の居城だった、加茂川と河内川の合流付近にある丘陵を利用した「田城」があった場所で、市の文化財に指定されている。九鬼家の本家にあたる澄隆がその叔父・嘉隆に暗殺されたという伝説が残っている。城跡には澄隆の怨霊を鎮めるために九鬼総領権現が祀られている。
住所 | 〒517-0041 三重県鳥羽市岩倉町1107−1 | |
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電話番号 | 0599-25-1157(鳥羽市観光課) |
車で約10分
鳥羽城跡
九鬼水軍、九鬼嘉隆が築城したお城
九鬼嘉隆が1594年(文禄3年)に築城し、その後は九鬼水軍の本拠地となっていました。大手門が海側に突出して造られるという全国でも珍しい形をしており、この大手波戸水門が出入り口となっていました。今も近くの海や川から運び込んだ石で詰まれた石垣の一部が相橋と本丸跡などに残っています。
三ノ丸広場
三ノ丸広場
住所 | 〒517-0011 三重県鳥羽市鳥羽3-4 |
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